取手で僕と握手!

男、25歳。電話営業マン。起業を企む元無職。取手住み。

普通の人が「取りあえずやってみる教」に入信する前にきちんとやっておく戦略の話

よく「とりあえずやってみるのが大事だ!」みたいな論調があると思います。僕もその意見に賛成です。ただ、コレは誰かがちゃんと戦略面を詰めてくれたからできる考え方だなぁと感じたのです。

 

この「とりあえずやってみる」は

”誰が言っているのか?”

”どうして「やってみる」が正解となるのか?”

についてよくよく考えてから行動に移した方がいいと思いました。

 

「とりあえずやってみる」、そんで結果がでずに萎える

結局これですよ。この論調の暴力的なところは某ワタミな人が言っていた

途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなります」

 に近いものがあると思います。起業してる人、独立している人はこの「とりあえずやってみる教」に入信すると往々にして暴力的な消耗戦に突入してしまいます。この言葉は、一部の人間のポジショントークなんですよ。だから注意が必要だと言いたいんですよ。

 

ただ、この考え方は例えば企業に就職して従業員として働いている方であれば”ほぼ正しい考え方”だと思います。

 

この行動に移す事が「正解」になる条件というのは

・戦略部分がきちんと詰められている

・無意識レベルでも、それなりなロジカルな判断ができるスゴイ人

に限られてる話なんです。(もちろん、”めっちゃ考えた”という努力を隠して涼しい顔を役者として見せてるプロ意識のなせる技であるかもしれませんが)

 

当然、僕みたいな茨城県のペーペー社長なんかじゃ「行動に移す!」ってバカの一つ覚えみたいにやってたらジリ貧になっちゃうか、そのまま転覆しちゃいます。

 

 

何故、「取り敢えず行動を」が受け入れられたのか?

これは、正直なところ自己啓発的な書籍の影響が大きいと思います。後は、「もっと自分らしく生きよう」的な”自由な働き方”を提唱する一部の著名実業家の方の影響が大きいと思います。

 

この論が受け入れられたのは、書籍にせよ実業家にせよメッセージの対象が”企業に務めるサラリーマン”であったからだと思うんです。

戦略部分が、①長い歴史が時間のちからで成熟できていたり、②そもそも明確にテーマが決まっている環境であれば「行動に移す事」が”一見見過ごしがちだけど重要なファクターだった”と、だから「とりあえずやってみる教」はご利益も有ったわけです。

 

で、コレを履き違えてというのか大学生や独立志向家向けにも発信されてきた結果、目障りな意識だけ高い大人が量産されたのです。ただ、彼らとしては本気です。

 

そして、

本屋も、実業家も気づいたんです。「とりあえずやってみる教」は、前述の通り途中で止めるから無理になるんです。でもあるため、「とりあえずやってみる革命」というベストセラーが出来たのです。

あなたが失敗してるのはこの「やってみる教聖典の新板を読んでないからだ!」「実践していないからだ!」となるのです。だから、別の聖人が書いた「新・やってみる教聖典」を買いましょう!(~買いたいな♪)ってなるのです。

 

そりゃそうなんです。こんだけ技術進歩しても機械ですら人間にとって代われないくらいに分からないことだらけな世の中で、「とりあえずやってみる」だけであなたの事業が上向いたり、あなたが金持ちになったりするわけ無いんです。 

 

 

これからビジネスをする人はちゃんと頭を使え

僕が言いたいのは、「”やってみる”のは大事だけど、きちんとした戦略があってこその話で、努力の方向が正しいから行動量が差別化要因になるんだよ」ということです。

 

なぜ、この商材でビジネスをしようと思うのか?将来性があるのか?

→将来的に市場は広がるのか?逆に需要が減っていく分野はどこなのか?

なぜ、この手法でサービスを提供していくのか?ライバルはどうしてるのか?

→その戦法で他社に勝てるのか?同じやり方で競争環境になってしまわないか?

 

言い出したらキリがないですが、ようは

「その努力はきちんと報われる方向に向いていますか?」って事です。

 

ネットを見れば、ホリエモンさんとか、ちきりんさんとか、家入さんがカッコイイ事をかっこ良く言っててなりたいなぁって思います。

 

僕自身、すげーなーこいつって思う方がたくさんいて何が凄いかというと一番は、「無意識レベルでも、ロジカルに考えて、ほぼ間違いのない答えを”面白そうだ” とか言ってパッてやれちゃう」ところなんですね。

 

そんなスゴイ人間達に凡人が憧れて、「とりあえずやってみる教」にうっかり入信すると「僕がダメなのは途中で止めたから自己責任で、途中で止めなければ無理じゃ無いんだから、とりあえず頑張ろう」になっちゃうんです。

 

僕だって三流大学出身の人間な訳で、そりゃ早稲田だか慶応だか知りませんが頭のいい連中のように器用にはできません。でも、そういう普通の人のほうが大多数じゃないですかね?

手間をかけないと同じクオリティの考え方なんざできやしません。逆に言えば、やればできますし、結局コレも経験値がたまると判断スピードも上がります。

 

 

でも、言ってしまえば自分で考えることを放棄して、「何か決まった答え(メンタルスタンス)がある」と安易に考えてしまう凡人故の怠慢性なんですよ。

 

だから安易にバカは「取りあえずやってみる教」に入るんだろうと思います。

 

でも、こんなお人好しみたいな人間が「普通の人」として生きているのも事実だと思います。